そろそろスノボシーズンが本格化しそうですけど、コンテンツ作成に追われ(本当は、追われてないですけどw)、なかなかシーズインができてないこうぞうです。
今回は、コンテンツ作成(動画撮影)をしてて感じたことをつらつらと書きます。
スノーボードインストラクターは「教える」プロなわけですが、この「教える」感覚よりも、「溢れ出る感覚」を言葉にして伝えるって感じのがうまくいくような気がしてきました。。。という話です。
僕自身、「教える」ということは昔から好きで、スノーボードも自然と「教える」ことをしてたんですが、今はちょっとその感覚が変わってきてます。「教える」んじゃなくて、「灯す」って感じですかね。
正論ばっか言っても実は伝わらないなぁってことを感じる機会が多くて、まぁもちろん正論は正論なんで「あり」なんでしょうけど、その人の「あり方」を考えたときに
「教えてあげる」
っていう立場がどうも好きになれなかったんですよね。
何?その立ち位置?みたいな。。
で、スクールに所属してると
「先生と生徒との立場を考えて行動しましょうね」
なんて、言われることもあるわけなんですけど、それって「教えてあげる」っていう上から目線でしょ?と思うわけです。
もちろん、「親しき中にも礼儀あり」でお互いを尊重し合う関係性は大切だけど、親しみを込めたコミュニケーションもありだと思うのですよ。
実際、僕は「教えてる」って感覚はなくて、スノーボードのアドバイスをするときは気の合う人との「会話の延長」でしかないんですよ。
同じ趣味を持った人同士で、ただただ「会話」する。
そこに「教えてあげる」っていう意識はあんまなくて、それよりも自分の中から溢れ出る感覚だったり感情を言葉にしてるっていう感じなんですよね。そして、その延長として相手の心に灯をともせたらなと思ってます。
「灯をともす」
そんなインストラクターになりたいなと。そう考えたときに、その目標は「教える」ことの延長にはない気がするんですよね。「教える」行為は一方的な気がしますし。
自分の中から溢れでる感情をそのまま言葉として伝えることの方がダイレクトに相手に響く。そう思います。
灯ってどんなに分けても減らないんですよね。むしろ集まったら大きな炎にもなる。そんな明るいコミュニティがあっても良いと思うんです。きっかけは誰でもよくて、一人に火が灯っていれば良い。もし、自分に灯がなければ、分けてもらえばいい。そうやってみなで環境を作っていきたいなと思います。
これが良いか悪いかはわからないですけど、結果的にそっちのが伝わるとも思ってます。
「やり方」はいっぱいあると思いますし、人それぞれだと思うんで、僕はこうやって今シーズン取り組んでいくんで、これからもスノボラボをよろしくです。
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