先日メルマガ読者の方にアンケートをお願いしたところ、次のようなコメントをもらいました。
「勘違いしてるよね」
正直、このコメントを見た瞬間は気持ちがどんよりしました。多くの方から、「為になります!」とコメントをいただいているので、あまりこのような否定的なコメントをもらうことはないのです。
ただこのコメントに対して私の中で新たな気づきがあったので、コラムとして書きたいと思います。結論を先に言いますと、《理論は自分の知覚できる幅を広げる為にあるもの》ということです。
「勘違いしてるよね」
今回はこのような言葉で、否定的なコメントをもらったわけですが、あなたも否定的なことを言われて傷つくことはあると思うんです。
そのときに、一つ深呼吸をしたら考えてみてほしいことがあります。今回の私のケースで例にとると、
「その”勘違いしてる”という思考の何が腹立たしいのか。
自分の中にどんな思考があるからそれがひっかかるのか、
自分の中に他者に対して抱いてる、偏った思考はないか」
ということです。これは私のメンターでもある方に相談したときに、アドバイスとして言われたことです。強く反発したくなったということは、自分の中で偏った思考があるためということを教えてくれています。
そのアドバイスをもらった後に自分なりに考えて出した答えがこちらです。
「自分は正しいことを発信しないといけないという思いがあって、それを傷つけられた。」
そうなんです。スノーボードの理論を発信すると、スノーボードの理論は正しくある必要があると思っていたんです。
「え?理論て正しくなきゃいけないんじゃないの?」
と、思うかもしれませんが、今回の私のなかでの答えは違いました。
極論、スノーボードの理論は正しくなくてもいい。
これは私の考えにすぎないですけど、《理論は、その人の感覚を言語化したにすぎない》と思うのです。
だから、発信する側は《理論=勘違い》でいい。
天動説と地動説なんて世紀の勘違いだと思うのです。
15世紀までは天動説だとみんな思っていた。でも、それ以降に望遠鏡ができて地動説が有力になった。
天動説を説いた人は、いっぱい考えて「自分は天動説だと思う」と言ったんですが、実際は勘違いだった。
そのとき”しっくりくる理論”が世に広まったとも言えるわけです。
で、
「じゃぁ理論なんてどう使ったらいいのよ?」
って考えると、私なりの答えは、
《その人の感覚(理論)を参考にして、自分の感覚の幅(知覚できる幅)を広げるっていう行為が大切》なんだと思います。
だから、あくまで理論ていうのは自分の感覚を広げるためにと言いますか、感覚を研ぎ澄ますためにあるだけじゃないのか?
という結論に今現在なっています。
それで、ブログでその勘違いを発信して、何か気づいてくれればいいし、気づかなかったら気づかなかったで、それはそれでよし。笑
「なんだそれ、無責任だな!」
と、普通だったらなると思います。苦笑
正直、自分の責任は自分でしかおえないというのが私の中にあるので、無責任ですが何か?というのが正直なところです。笑
ただ、ブログでは一貫して《私が思うスノーボードの上達法》を発信してるというのが重要だとも思うわけです。
どういうことかというと、
うま人の表面的な滑り方だけを真似してもダメってことですね。
アングルやスタンスも大きく関係してくるし、その人の考えが滑り方に反映するから、DVDでちらっとその人の滑り方を学んだような気分になっても、その場限りなわけですね。
そのときはうまくなったような気になるけど、結局はその人に軸がないから身につかない。
そんなつぎはぎじゃ、いくらたってもハリボテですよね。残念だけど。
だからね、ある一定上の実力のある人の理論をゼロから学ぶっていうのが大切だと思うんです。
そうすると、一つの《基準》ができる。
そこから、あの考え方はどうしてだろう?とか、じゃぁ、やっぱりこっちの方が自分にはあってるなとか。
そうするとあなたの脳で思考できるようになると思うんです。
そしたら、あなただけのスノーボードスタイルが見つかると思うんです。
それが、このブログで発信する理由です。
最終的には、このブログを通じてあなたの感覚を少しでも広げられたらいいなって思います。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。ではまた。
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