ココロに闇を抱えててもいい。一方で必ず光も持っている。その矛盾を受け入れいてこそ一歩目を踏み出せる。


幸三です。今日は、僕自身の「闇」の部分をお話しします・・・。

今までは他人から褒められることや評価されることをやってきた。そして、それが自分のやりたいことや夢や目標なんだと「思い込んで」いた。

  • 親から褒められること
  • 会社から評価されること
  • 強いては社会から認められること

それらをやり続けることで自分の存在価値を高めてきたつもりでいた。そうすることでしか自分の居場所を見つけられなかったとも言える。

 「価値ある仕事をするから僕は存在してていいんだ。」

心のどこかではこいう風に思っている。

僕はどうすれば会社から評価が高くなるかは本能的に知っているようなところがあり、会社から受ける評価は高かった。上司や先輩からは若手のホープだとお世辞まじりに言ってくれる。実際、会社のシステム上最短で昇格した(らしい)。

だから、会社を辞めるということを上司に伝えた時は驚かれた。

当たり前だ。手塩にかけて育てた人材がいきなり辞めると言い出すのだから。さらに言えば、別に就職先が決まってるわけじゃない。そりゃ驚いて当然だ。僕が逆の立場だったら同じ反応をするだろう。

ただ、自分を「会社」という箱の中におさめているという事実に窮屈さを感じていた。仕事に満足しているか?と言われれば、心から満足はしていないと答えるし、これからも満足することはないと漠然と感じる。

なぜかと言ったら、本当に心からやりたいと思っていることは知ってるからだと思う。もっと輝ける場所があるということをカラダが、ココロが知ってるから。今、会社でやっていることに関してココロは必要ない。必要ないというか、僕のココロがそこにはない。カラダだけあってココロはどこか別のところにある感じ。

きっとこのまま行けばココロが悲鳴をあげることになるだろう。それだけはわかる。今現在で十分つらい。常に心臓を誰かに握られているような重苦しさを感じる。

そしてすでにココロだけじゃなく、カラダにも現れてきている。末端の冷えが尋常じゃないのはココロから来てるのだろう。そんな状態が1年以上続いたんだ。まぁ頑張った方だ。

これまで親からの期待に応えるため、周りからの期待に応えるために頑張り続けたんだから、もうそろそろいいだろう。こうぞうはよく頑張ったよ。うん。

お疲れさん。

だから、ここで少し自分の気持ちに「素直」に行動してみよう。

もし、新しいことにチャレンジしようとしてて「できない」と感じているのであれば、それは「できない」んじゃない。それは「ブレーキ」を踏んでいるだけなのだから。「アクセル」と「ブレーキ」を同時に踏んでいては、それは疲れるよ。その頑張りは間違ってる。「ブレーキ」さえ、やめれば、自然と進み出すんだ。ブレーキさえ踏まなければ、そんなにアクセルを踏む必要もない。適度に踏めばいいだけ。

僕は自信家に見られやすいけど、そうじゃない。

僕は誰よりも僕自身のことを疑い、怪しみ、訝しむ。チームで動いて何かミスが発覚したとなれば、僕自身の作業にミスがなかったかを真っ先に考える性分だ。ただ一方で、誰よりも僕自身のことを信じ、信頼し、尊敬し、可能性を秘めていると思っている。

矛盾したこの気持ちを抱えつつ、それが正常であるとも思う。

だれしもココロに闇を抱えるし、光も持っている。どこに焦点を当てるかなだけだ。光と闇は表裏一体。どちらが欠けても成り立たないわけで。良い悪いではない、ただ「在る」というだけ。その存在を認識し、認め、育み、感謝する。その一連の流れを体感するために生きているのかもしれない。

誰よりもこうぞうの可能性を信じているのは僕自身だし、誰よりもこうぞうのダメなところを知ってるのも僕自身。僕は僕自身の最大の理解者でありたいと思う。

自分を幸せにできるのは自分しかいない。他人の評価は関係ない。自分が自分をどう評価するか。評価すら本当はいらない。自分という一人の人間と歩む覚悟をそろそろ決めよう。

 

 

 

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